ひばりーずの特定パリーグ談義

今後は細川亨選手、帆足和幸投手、大沼幸二投手(以上西武)、ユウキ投手、前田大輔選手、辻俊哉選手(以上オリックス)の応援をメインに、パリーグを語るブログとします。

Lions好きな選手2・・・帆足和幸投手

帆足投手

(↑BBM07年より。)

1979年7月15日生まれ。
福岡県小郡市出身。
左投左打。
三井高 - 九州三菱自動車
2000年ドラフト3位で西武ライオンズに入団

2000年秋にドラフト指名を受け入団。最初のうちは制球に苦しみ、変化球もパームを投げる物珍しさ以外はあまり特徴がなく、1軍に定着できませんでした。しかし2003年から腕の振りが良くなり頭角を現し始め、4勝を挙げました。

2004年は前半好不調の波が激しかったが後半安定し、先発もリリーフもこなす活躍で10勝を挙げました。

2005年はさらに成長、制球力が格段に向上したことでローテーションに唯一の左腕として完全定着し、左のエースとして活躍。規定投球回にも達し、同年7月18日に初完封、初のオールスター出場を果たすなど大活躍。前年より勝ち星を積み重ね13勝を挙げました。

チームの先輩左腕エース・工藤公康に憧れ、かねてより工藤と同じ背番号47を希望していましたが、球団は「主力として定着したら与える」という姿勢でした。そして、自身最高の成績を挙げた2005年のシーズン終了後、その約束通り「ご褒美」として、晴れて細川亨捕手が着けていた47番を譲り受けることが決まり、2006年のシーズンからはその背番号で臨みましたが、先発として結果を残せなくなり、5月に登録抹消。2週間後に一軍復帰するも中継ぎに降格。しかもこちらも結果を残せず打ち込まれるようになり、7月25日のオリックス戦で1点ビハインドの場面で登板するも、相川良太選手に打たれた3ランHRと左肩痛が決定的になり、翌日再び登録抹消されてしまいました。

2007年は治療に専念して開幕2軍でスタート。この間「テレビで(試合を)見るのが一番つらい」と精神的に追い込まれていましたが、7月1日の楽天戦でひさびさに登板し、ちょうど1年ぶりに勝利を挙げました。このとき「去年も7月1日に勝っていたんで、そういう運命かな、と思っていました」とコメントしました。その後もローテーションを守り続けたが勝ち運に恵まれず2勝7敗に終わり、6年連続で防御率4点台を記録しました。

石井一久投手の加入や松永投手の成長など帆足投手にとってちょっと危うい立場になってきたかもしれませんが、それでも西武にあって数少ない先発型の左腕投手として、今後も活躍が期待されています。

帆足和幸投手プロ2年目(2002年)から現在までの記録(一部 「野球を愛する人のためのホームページ」掲示板より)

2002年9月11日 このシーズン一軍昇格後初のマウンドだったが結果は散々。
2002年シーズンオフ 背番号48から34に変更

2003年5月27日 潮崎投手降板後に登板したが、日ハム打線の勢いを止めるナイスピッチング。
2003年6月25日 シーズン初勝利。5回を乗り、大量援護があった。
2003年8月3日 3回から自己最長の7イニング投げ、1ヶ月ぶりの3勝目を上げた。
2003年8月8日 延長11回から2イニング投げて、4勝目を上げた。
2003年9月1日 豊田投手の後をうけて10回裏に登板して、シーズン初セーブ。

2004年4月27日 この日のオリックス戦でシーズン4勝目をあげた。
2004年7月25日 プロ初完投で3ヶ月ぶりの5勝目をあげた。
2004年9月14日 シーズン9勝目をあげた。
2004年9月20日 待望の2ケタ勝利達成

2005年6月1日 8回5安打無失点の好投で5勝目をあげた。
2005年7月   サンヨーオールスターゲームの初出場が決定(パで同学年選手の出場はオリックスの平野恵一内野手のみ。西武では他に松坂投手、西口投手、石井義人内野手、和田外野手が出場)。
2005年7月18日 オールスター前に2桁勝利到達。シーズン初完封勝利。
2005年8月14日 楽天戦で九州三菱自動車時代の同僚、有銘投手との投げ合いを制してシーズン2度目の完封勝利。
2005年シーズンオフ 背番号47番に変更

2006年4月19日 8回6安打1失点でシーズン初勝利
2006年6月10日 巨人戦で自らタイムリー2ベースを放った
2006年7月26日 二軍落ち

2007年7月1日 楽天戦でシーズン初先発。
2007年9月16日 楽天戦で2年ぶりの完封勝利をあげた。

  1. 2007/12/27(木) 17:25:08|
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Lions好きな選手1・・・細川亨捕手




(↑BBM07年より。家にスキャナーがなかったので近所のFedex Kinko'sに行って無理やりスキャンしてきました。)

1980年1月4日生まれ。
青森県東津軽郡平内町出身。
右投右打。
青森北高校 - 青森大
2001年ドラフト自由枠で入団。

強肩強打が持ち味の捕手で、2001年に伊東勤氏(当時選手)の後継を期待されて入団、2003年に93試合出場し頭角を現しました。

伊東勤氏が監督就任した2004年、ポジションを争っていた野田浩輔選手の負傷もあり、初の100試合出場(116試合)を果たすなど、以降現在に至るまでライオンズの正捕手候補として活躍しています。2004年4月4日の日本ハム戦では、プロ野球史上63度目のサイクルヒットを達成しました。また犠打の名手でもあり、2005年の犠打数27はリーグトップです。

2005年はリード面では一定の信頼を得たものの、例年通りの打撃不振で打率が1割台に低迷。また守備面ではリーグ最多の捕逸数を記録し、さらに企図数は少ないものの盗塁阻止率もリーグワースト2位と、攻守両面での不安を露呈しました。捕逸ワーストという数字が示すほど実際は捕球技術が拙劣というわけではないですが、つまりそれは単純ミスが多いという裏返しでもあり、その結果2006年は開幕戦スタメンを3年振りに明け渡し、その座を勝ち取った高卒新人・炭谷銀仁朗(現登録名・銀仁朗)選手に鮮烈デビューを許す結果となりました。

正捕手争いの上では、野田浩輔選手ら他の選手に比べ豊富な経験を生かしたリード、長打力、バント技術の巧みさ、また捕手として重要な条件である身体の丈夫さが武器となり、他の選手との差を大きくつけました。また交流戦で阪神・赤星憲広選手の盗塁を二度刺すなど、本来は強肩も持ち味です。2006年の春季キャンプで伊東勤監督から「スナップスローを心がけてみろ」と指導を受けた結果、盗塁阻止率が昨年と比べ大幅に改善、2006年はリーグ1位の盗塁阻止率と本来の持ち味が出された結果となりました。

2006年は、先述の通り盗塁阻止率がリーグ最高の.469を記録すると同時に、年間通じて捕逸無しとこちらも向上。前年リーグ最下位・準最下位の辛酸を嘗めた両部門で一転リーグトップに転じるという長足の進歩を見せました。更に打撃でもフォーム改造(後述)の奏功もあって終盤好調を維持するなど改善の兆しを見せ、また最大の懸案であったリードも伊東監督に「落ち着いてリード出来るようになった」と信頼を得るなど、全面において大きく評価を上げた一年となりました。

細川選手はかねてから伊東監督の現役時代に付けていた背番号27を希望していましたが、2006年12月29日に晴れてその背番号を受け継ぐことになりました。

2006年シーズン前半は例年以上の打撃不振に見舞われたことから、シーズン中盤からバッティングフォームを大幅に変え、ランナーがいてもいなくてもバントの構えからヒッティングに切り替えるバスター打法を取り入れました。これが結果的に大成功でした。このフォームは最短距離でバットが出るようになることから大幅に三振を減らしただけでなく、8月頃からは主力打者顔負けの高打率に本塁打も量産し、恐怖の8番打者としてスポーツ紙に取り上げられるなど注目を集めました。しかし打率はやはり1割台に終わってしまいました。

2006シーズン終盤の細川選手のバスター打法↓


ニックネームの「キヨシ」は伊東氏が名付け親であり、ホームゲームでの登場テーマには氷川きよしの「きよしのズンドコ節」が使われていますが、このCDは細川選手ご本人が自前で購入したものだそうです。

2006年度成績 99試合 266打数 22得点 53安打 7本塁打 27打点 打率.199


  1. 2007/07/21(土) 17:10:03|
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