ひばりーずの特定パリーグ談義

今後は細川亨選手、帆足和幸投手、大沼幸二投手(以上西武)、ユウキ投手、前田大輔選手、辻俊哉選手(以上オリックス)の応援をメインに、パリーグを語るブログとします。

Bs好きな選手・・・ユウキ投手



(↑BBM2007より)

1979年6月12日生まれ。
愛知県豊田市出身。
右投右打。
杜若高
1997年ドラフト5位で近鉄バファローズに入団。
2001シーズンオフにオリックス・ブルーウェーブに加藤伸一投手のFA人的補償移籍。

入団と同時に登録名を「ユウキ」としました。2002年、FA移籍した加藤伸一投手の人的補償としてオリックスブルーウェーブに移籍(ちなみに2007年12月5日現在の日本での人的補償の事例の中で唯一、読売ジャイアンツが絡んでいません。ただし石井一久投手を獲得した西武がヤクルトから人的保障の要員を要求されているので、もしかしたら2例目が出てくる可能性あり)。同年7勝をあげました(この年、土曜日に7連勝を記録しておりサタデーユウキと呼ばれていました。また、近鉄球団に対して「あんなクソチームはボロボロのギッタンギッタンにして見返してやりますよ」とある意味暴言ともとれる言葉を吐いたけど、結局合併してしまったんですよね。近鉄からブルーウェーブ時代のオリックスに移籍し、合併後もバファローズに在籍する唯一の選手です)。
一躍エース候補になりましたが、度重なる故障により以後はファーム暮らしが長く続きました。2005年は復活の兆しが見えた矢先に再び故障し、3連敗のままシーズンを終えました。 2006年7月13日の福岡ソフトバンクホークス戦で4年ぶりの勝利を挙げ、その後かつての勝ち運の無さを取り戻すかのように5日間で3勝を挙げ、リリーフとして信頼を得ています。
2007年は再び先発に転向し、この年初の先発となる5月20日の西武戦で初回にこそ四球でランナーを出すものの、6回までを無安打に抑え、あわやノーヒットノーランかと思われるほどの好投を見せ、見事先発ローテーションを勝ち取りました。その後、先発として3勝をあげましたが4勝目をあげるまで64日のブランクがありました。その後は好投できずに4勝目が最後に勝ち星になってしまいました。

今年に入ってからは大仏のお面をかぶってパフォーマンスするようになりました。中でも11/23の「Bs Fan Festa」ではお面をかぶってスタンドに登場、トークショー中の大引選手の視線はユウキ大仏に行ったくらいです。

2007年度成績
16登板 4勝 4敗67奪三振 37失点 防御率3.79

ユウキ投手のオリックス移籍後から現在までの記録
(一部
「野球を愛する人のためのホームページ」
掲示板より)

2002年8月16日 移籍後初勝利を飾った
2002年9月14日 シーズン4勝目を飾った。そろそろ「加藤なんかいらんから返せ!!」という当時の近鉄ファンが来てもおかしくないくらいの活躍ぶりだった
2002年9月21日 加藤投手の人的補償という屈辱の移籍からようやくローテの中心に。古巣への見事な見返しピッチングで6勝を飾った。
2002年9月28日 プロ入り初完封を飾った
2002年12月3日 172%アップとなる2200万円で契約更改

【2002年一軍成績】
13試合7勝1敗0S 84回 65安打35四球4死球75奪三振 防御率1.93
対右.224 対左.203
対西 3試合1勝0敗 防御率2.70
対近 2試合1勝0敗 防御率1.65
対ダ 2試合1勝1敗 防御率3.18
対ロ 3試合2勝0敗 防御率0.00
対日 3試合2勝0敗 防御率2.60

【2002年二軍成績】
13試合4勝0敗0S 60回1/3 30安打21四球0死球51奪三振 防御率1.64

2003年〜2004年 故障が相次ぎサーパス(二軍)暮らしが続いた

2005年3月2日のVSロッテとのオープン戦で4回を1安打4奪三振無失点
2005年3月30日 久々の1軍での先発登板、しかしぎっくり腰のため登録抹消
2005年4月13日 再度1軍復帰、白星を逃してしまう。28日には登録抹消
2005年9月6日 再度1軍復帰、しかし・・・

2006年7月13日 久々の白星 この後1週間で一気に3勝してしまう
2006年8月15日 プロ初セーブを挙げる

2007年5月9日 シーズン初の1軍登録。中継ぎを任される
2007年5月20日 シーズン初先発、初勝利。コリンズ監督からローテーション入りを明言される。
2007年交流戦中 次々と勝ち星を挙げていったものの・・・・
2007年8月12日 久々の先発で白星を挙げた。


  1. 2007/12/05(水) 01:47:45|
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Bs好きな選手2・・・辻俊哉捕手




(↑BBM07年より。家にスキャナーがなかったので近所のFedex Kinko'sに行って無理やりスキャンしてきました。)

1979年7月14日生まれ。
山梨県甲府市出身。
右投右打。
甲府工高−国士舘大
2001年ドラフト5巡目で千葉ロッテマリーンズ入団。
2006シーズンオフにオリックス・バファローズにトレード移籍。

ロッテ時代は打撃には定評があり、代打での出場も多かったです。ロッテでは里崎智也選手・橋本将選手に続く3番手の捕手として一軍に定着し、2006年シーズン後半は橋本将選手の不振により2番手として出場機会が増えました。

2002年 清水将海投手の怪我や里崎智也選手、橋本将選手らの伸び悩みなどのチーム事情の中、1年目にして6月に1軍昇格。シーズン41試合出場を果たしました。またこの年、プロ初ホームランを満塁ホームランで飾りました。
2006年、開幕から右の代打として頭角を示し、里崎智也選手の怪我の際には代役を務めるなどシーズン通して初めて1軍に居続けました。同年11月、早川大輔選手との交換トレードでオリックス・バファローズへ移籍しました。
2006年3月26日に行われた対福岡ソフトバンク第2回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)では、同球場の外野フェンスの右翼ポール際にある福岡銀行の広告看板の同行のマスコットキャラクターが描かれている部分にダイレクトで打球を当て、見事賞金100万円を獲得しました(賞金を獲得したのはホークスの柴原洋選手に次いで2人目)。

2006年度成績
52試合 88打数 2得点 21安打 9打点 1盗塁 打率.239

辻俊哉捕手のプロ入りから現在までの記録(一部
「野球を愛する人のためのホームページ」
掲示板より)

1軍公式戦初出場・・・2002年5月29日 対大阪近鉄10回戦・6回捕手(大阪ドーム)
1軍公式戦初本塁打・・・2002年7月2日 対西武14回戦・5回大沼幸二投手から
・リードはなかなかの結果を残していた。それでもって清水投手がなかなか結果を出せてない中、プロ初本塁打を満塁で飾った。当時の橋本選手や里崎選手よりは上だった。
9月に入ってからあまり使われなくなり、結局2軍落ち。
【2002年一軍成績】
41試合82打数17安打1本塁打8打点0盗塁4四球0死球23三振 打率.207 長打率.293 出塁率.241 得点圏.167
対西 打率.200 1本塁打4打点
対近 打率.231 0本塁打2打点
対オ 打率.222 0本塁打1打点
対日 打率.125 0本塁打0打点
対ダ 打率.217 0本塁打1打点

【2002年二軍成績】
36試合99打数26安打1本塁打11打点0盗塁6四球0死球 打率.263 長打力.303 出塁率.305

2003年は4月に1軍登録(4試合出場)、5月頭に抹消。

2004年は4月半ばに1軍登録。里崎選手が離脱したため橋本選手に続いて、辻選手も結果を残した。しかし出場試合数は10試合のみ。4月27日にはプロ入り初の猛打賞も受賞。

2005年は9月に代打で出場後マスクをかぶった。メジャーではパワーのない捕手は嫌われバックアップとしてしか使われないというがバレンタイン監督も同じ考えだったのでしょうか?10月8日のファーム日本選手権で2安打2打点を放ち、最優秀選手に選ばれた。

2006年は3月31日にスタメンマスクをかぶり、打撃では結果を残したが、リード面と肩の面では全くアピール出来ていなかった。4月15日には代打で見事な逆転3塁打を打ち、福浦選手が怪我で離脱中にファーストスタメンで起用されることが多かった。



11月22日、オリックス早川選手と交換トレードが発表


2007年4月12日の対日本ハム戦でライトフェンス直撃のタイムリー2ベースを放った。

そして7月15日の「HIBARI TOWERシリーズ」対西武戦はスタメンマスクでチームも勝利した。
  1. 2007/07/21(土) 17:54:30|
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Bs好きな選手1・・・平野恵一内野手




(↑カルビー07年より。家にスキャナーがなかったので近所のFedex Kinko'sに行って無理やりスキャンしてきました。全部入ってないかもしれませんがご容赦ください)

1979年4月7日生まれ。
川崎市多摩区出身。
右投左打。
桐蔭学園高-東海大
2001年ドラフト自由枠で入団。

球界再編騒動があった2004年は打撃好調で、一年を通してレギュラー起用されました。規定打席にも到達し、10盗塁を記録しました。三塁打7本が打撃センスと俊足を物語っています。守備でも固さが取れ、堅実なグラブさばきを見せるようになりました。

2005年は近鉄との合併で水口栄二という強力な二塁手のライバルが加わりましたが、二塁手のレギュラーを守り抜き再三ファインプレーを見せました。前半戦は3割を超える打率をキープし、この年も規定打席に到達し打率.285とチームトップの打率をマークしました。オールスターにも出場、新人賞を獲得しました。また、この年楽天とのカードにおいて、サヨナラヒットと、セカンドライナーを好捕し2日連続のお立ち台も経験しました。

その時の映像(YouTubeより)


2006年には中村勝広監督のチーム方針で二塁手から外野手へのコンバートの構想があり、二塁手と外野手の掛け持ち状態でした(それ以前からセンターを守っていたこともありましたが)。しかし二塁手として出場した5月6日のロッテ戦でファールフライを深追いし一塁フェンスに激突。この日は風速10m以上の大風が吹く試合でした。握った打球を離さないガッツあふれるプレーを見せましたがその代償はあまりにも大きく、胸部軟骨損傷、右腰の肉離れ、右股関節の捻挫、手首の捻挫など、選手生命を脅かしかねない大変なケガを負い、1年間を棒に振ってしまいました。

その時の映像(YouTubeより)


今季は3/31対楽天戦から一軍復帰しましたが、太ももを痛めてしまい4/15に登録抹消。そして6/29対日本ハム戦から再度一軍復帰しました。今度こそは怪我しないで活躍して欲しいです。数少ない(?)パリーグ1979年生まれNPB選手では守備能力も打撃能力も、もともと高いのだから。

怪我と二軍落ちだけは勘弁してくれ!

 
2006年度成績 33試合 98打数 14得点 23安打 2本塁打 6打点 0盗塁 打率.235

  1. 2007/07/10(火) 18:45:01|
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